教師の悲哀

小学校の教師資格を取得したり、教師を目指して一定の勉強を終えたものの、教職に就けず、又は教師にならずに店の売り子などに従事している人が多いことが、グジャラート州の小さな町、ゴドラでの取材で明らかになった。

→教師の訓練を受けたものの、菓子売りをしなければならない現実

彼らはいずれも教師を目指して、小学校教師の資格を取得したり、大学で教育学の学士を取るなりして一定の訓練を受けたものの、社会に出ると厳しい現実が待っていたようだ。公立学校の募集を思ったより少なく、私立学校の教職は給料がとても安いという。

スイートショップで売り子をしている男性は「(私立)学校の給与は1カ月2500Rsだが、この店だと1カ月4000Rsもらえる」という。他にもこういった「教師志望者のドロップアウト組」はたくさんいるのだという。

Bachelor in Education (BEd)=学士を取った男性は、「教師育成の目的から州政府がプライベートの小さなカレッジにまでBEdを出す許可を与えているから、BEd取得者が粗製乱造されている。そしてそういった豊富な教師志望者の足元を見て、学校経営者たちは安月給で買い叩いている」とも語っている。

BEdを取得した別の男性も、私立学校に勤めながら、それだけでは十分にやっていけず、仕事が終わってアルバイトをしているという。

都市部の富裕者向けのプライベートスクールは、過熱する教育熱を背景にさまざまな名目で運営資金集めに勤しんでいるが、→Spin Off 岐路に立つ私立学校の運営 で指摘したように、地方の私立学校はどうやって経営が成立しているのか不思議なほど、寂しい予算状況で運営されているようだ。生徒から集めたお金の中から教師へ給料として分配されるのは、スズメの涙ほどらしい。クシナガラの小学校をいくつか訪問した中には、児童達のお姉さんくらいに見える、大学生の女の子たちが教鞭をとっている姿が目立つ学校があった。色々な理由があるようだが、一つはアルバイト程度の給与で納得してもらえるということがあるようだった。しかしやはりそういった学生の女の子たちは中味が伴わないうえに、プロの教師としての自覚にも欠けるきらいがあるという。

彼らに罪はない。昨年施行された教育基本法(Right to Education Act)によって、こういった日本の小学校や中学校に当たるクラスⅠ~Ⅴ、クラスⅥ~Ⅷはインドでは州政府の管轄となり、新たな財源を確保し、全国的に急ピッチで学校建設が進められている。こうした状況を背景に教師を目指すのは、ある意味自然だ。政府系の学校に雇われれば公務員で食いっぱぐれがないと考えるのも当然だろう。しかし実際に教師の採用状況には州ごとに予算の関係もあってバラツキがあるらしい。今後学校建設がひと段落したら、教員採用に予算が配分されるかもしれない。

それにしても、インドのように職業と社会的地位が伝統的に結びついている社会で(もちろん、それ自体問題ではあるが)、学費を投じて大学まで出た人間が、現状では菓子屋の売り子の方が稼ぎがよくて、そちらに流れざるを得ないというのは皮肉な話に違いない。