インドにおけるもう一つのレイプ

レイプ、強姦といえば、多少の意味合いのズレはあるかもしれないが、多くの人がイメージするものは大体共通しているはずだ。男性が女性を力ずくで押さえつけて性行為に及ぶ、、、インドでもそれはもちろん強姦罪になる。しかしもう一つ、日本人やほかの一部の国々に住む人々にとって意外に思えるレイプのカタチがある。

それは以前にも →インドの犯罪白書を読む:インドの性犯罪の動向 で指摘したように、インド刑法375条 強姦罪の中で強姦と認定されるいくつかの条件のうちの次の項目に関わるものだ。

With her consent, when the man knows that he is not her husband, and that her consent is given because she believes that he is another man to whom she is or believes herself to be law­fully married.
「男性が女性と結婚していないにもかかわらず、女性が自分の夫であると信じて、または結婚してくれるものと信じて、その男性との性行為に同意したとき」


つまり、男性が女性を「結婚しよう」と騙して性行為への同意を取り付けたときは、男性の行為は強姦とみなされる。

パトナーでこのほど起きた「事件」はまさしくこの項目に関わる悲劇である可能性が高い。大学生の男女が交際を始めた。交際は1年以上に及び、男子学生が一時は結婚を約束したものの、その後熱が冷めた男子学生は別れを告げた。技術系の大学に通う女子学生は悲嘆のあまり睡眠薬を大量に服用して自殺を図った。幸いにも一命を取りとめたものの、警察に男子学生を強姦罪で告訴し、警察は彼を逮捕したというのだ。

→”強姦”で逮捕された青年---パトナー

もちろん、このケースが裁判でどう裁かれるかは分からない。しかし警察に逮捕された男子学生が通常の生活を送れるはずもなく、大事な試験を控えていた学生生活にも大きな影響を及ぼすのは間違いない。

刑法の条項を逆手に取って女性が振られた腹いせに男性を訴えるということは、インドでもそれほどあるわけではない。保守的なインドの社会で、特定の男性と関係があったと女性があえて周りに訴えるのは、偏見、中傷の的になることが目に見えているからだ。この場合は女子学生が自殺未遂まで起こしたことで、男子学生との破綻が周りに明らかになり、女子学生への同情とともに怒りが男子学生に向けられ、刑事告訴に至ったのだろう。

もちろん恋人間・夫婦間であっても、一方の意思に反して強制的に性行為がなされたのであれば強姦になりうるという認識はインドの司法界にもある。しかし男女交際がやがて互いの感情の齟齬から破綻に至ったときに、かつての性行為が強姦とみなされるのは、刑法の内容に矛盾があるとされても仕方がないのではないだろうか。

かつてカーマ・スートラのような、SEXに対して自由で深遠な思索と考察を巡らせていたのとは対照的に、インド刑法のこの項目からは男女の関係やSEXに対して非常に硬直的な見方しか持ち合わせていないことが伺える。

つまりインド刑法では結婚前の男女の交際というものをあまり具体的に想定しておらず、例えばそれが感情のもつれから破綻する可能性があるというようなことまで想定していない。そして結婚の決定には男性に主導権があり、女性はどちらかというと従属的であるという前提に立っている。またSEXは、男性が女性に対して「する」もので、女性は「される」ものという、一方的な行為であるという認識があるようだ。

もちろん、これらが刑法を定めた当時のインド社会の認識を反映したものなのかもしれない。しかし現在のインド社会のありようを考えると、少し矛盾が生じる事態になっているように思える。

都市部では若いカップルの姿は珍しくなくなってきている。公園のベンチで肩を寄せ合い、手をつないでショッピングモールを散歩し、バイクに二人乗りしている姿も見られる。もちろん若ければ感情にムラもあれば起伏もあるのは万国共通だろう。「結婚しよう」と昂ぶる情熱に任せて約束することもあれば、小さなことで仲違いして疎遠になることもある。そんな青春を謳歌する恋人たちに、インド刑法のこの項目は、小さくとも毒をもった棘のように無闇に脅かし続ける厄介な存在に違いない。