●2/10 ゴルコンダ・フォートを見に行く


 

せっかくハイデラバードに来たので、昨年は行けなかったゴルコンダ・フォートに行くことにした。宿を出る前に地図で場所を確認すると、ハイデラバードの南に位置し、昨日飛行機が到着したラジヴ・ガーンディ空港よりははるかに近い。

 

何の事前情報もなく、ただセクンデラバード駅前のバススタンドに行って訊いてみる。すると、まずMEHDIPATNAMというところまでバスで行き、そこでさらに乗り換えろ、ということだった。

 

ゴルコンダ・フォートは16世紀ごろに興ったムスリム王朝が築いた丘の上の要塞であり、その後増築が重ねられて城下町のようになったという。17世紀にムガール帝国軍によって陥落し、その後は打ち捨てられたままだったのだという。インドではジャイプールのアンベール城に次いで2番目の大きさを誇るお城なのだそう。わずか100年余りにこれだけ巨大な要塞を築いたのだから、その財力はよほど大きかったのだろう。そしてその春は短かった。

 

MEHDIPATNAMで乗り換えたバスは、ゴルコンダ・フォートを終点とするバスだった。丘の麓にインド軍の施設が広がるのはかつての要塞都市にあやかってのことなのだろうか?バスは丘の中腹に向かってくねくねとうねるように続く細い道をあがっていく。前進する者を威嚇するかのように、石垣の壁が左右に屏風のように立ちはだかり、その間をバスが縫うように走る。

 

たどり着いたところは、バスや車が何台も駐車できる広い駐車場と、売店が立ち並ぶ、いかにも観光地然とした場所だった。なんとなく日本のひなびた観光地を思い出させ、懐かしい気がした。


四角い石で組まれた城壁は、なんとなく日本のお城に似ている。ただしお堀などはなく、庭園、噴水、貯水プールにモスクなど。長い回廊はところどころ屋根が抜けていて日が差し、光と影のコントラストを見せていた。中を歩くと静かでひんやりしていた。この道を昔の官吏が歩いていたのだろうか。周りにお付の家来を従えて。



頂上付近は大きな広場があり、2階建ての大きなホール(集会場)があった。なんと石組みの中に大きな梁がところどころ見えている。当時からこうした巨大な梁を製材して使用していたらしい。こうした木材を埋め込んで腐ってしまわないかと思ってしまうのだが、外壁の外に突き出た梁もあり、それらはさすがに長年の風雨に晒されて朽ちかけているものの、ある程度残っているところを見るとなかなか耐久性のある材質らしい。確かにハイデラバード近郊の町では、製材所をいくつか見かけた。しかも一体どこから、と思われるような、かなり大きな木を切り出して製材していたので、そうした産業が伝統的に残っているのだろう。


頂上付近でもう一つ印象的だったのは、巨大な岩がいくつかあり、そこにヒンドゥのお寺があったことだ。なんでもムスリム王朝の要塞建造よりもはるか昔から、そこにはあったらしい。きっと岩の重なる奥の祠に小さな神像を置いて祭っていたのだろう。そしてムスリム王朝がこの丘に要塞を築いた際には破壊されて打ち捨てられていたに違いない。今ではその祠を再発掘し、周りに小さく寺院の体裁を整えている。


丘の上に折り重なる巨大な岩、そしてその奥のしつらえた祠・・・そこの神さまはもっとも原始的な大地母神だった。今ではカーリーマーターとして描かれている。


このお寺のありように、自分は大いに想像力をかきたてられた。日本でも天の岩戸伝説などがある。また、昔訪れた沖縄本島南部にある斎場御嶽も大きな岩が互いに重なる地で、そこで祭祀が執り行われていた。ほかにも、巨石を利用した祭祀場を列挙し始めると、枚挙に暇がない。


人を軽く押し潰す、圧倒的な存在感を誇示する巨大な岩々と、それが折り重なる小さな暗闇の奥に、人は何か神秘的なものを感じ取るのではないか。野生のセンスというのは、ある意味地域を問わず人間に共通しているのではないか。


しかもここでは、大地の豊穣とともに人の腹底にある情念を糧にし、原始的な欲を体現する母神が祀られていたのだ。



●備忘録

セクンデラバード駅前のバススタンドから5番系列のバスでMEHDIPATNAMへ、そこから19966番系列のバスがGOLKONDA行きとなっている。