インドの教育事情 その1 インドの公教育


インドは神話の多い国だと思う。インド人の「頭の良さ」にまつわる神話も多い。いわく、「インド人はみな数学が得意」「インドの子供は20×20まで暗記しているから計算が得意」「インド工科大学は世界でも屈指の競争率で世界最高峰」など。そういう自分もブログのエントリーのいくつかで、インド人学生の優秀さを強調している。ミーハー気分でインド工科大学を見学しに行ったりもしたことがある。

 

→インド人学生がアメリカに渡るワケ

→1/28 インド工科大学を見に行く

 

インド人の古代よりの精神世界に対する深い思索には目を見張るものがある。何世紀にもわたる長い時を掛けてヴェーダの編纂も行われてきた。そのヴェーダの伝承は数千年も前からバラモンを中心とした宗教教育の中で独占されてきた。知識はグル(師)から弟子へ何世代にもわたって受け継がれていったものの、その知識の担い手はほぼ、一部のバラモンに限定されていたようだ。渡瀬信之氏は「マヌ法典 ヒンドゥー教世界の原型」(中公新書)の中で、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャの子供には規定に従って入門式(ウパナヤナ)を受けて正統なブラフマニズムの世界に編入され、彼らの世界観に置いてドヴィジャ(2度生まれる者)として、シュードラやアウトカーストたちとは一線を画した特別な地位が与えられたとしている。しかし多くは儀式を受けるのみで、その後グルの家に入って学生期は送っていたのはごく一部だったのではないかと述べている。歴史の長い間に置いて、ダリット(不可触民)などが、バラモンたちの朗誦するヴェーダを間違って聞いてしまった場合は、耳に熱した銅を注がれるなどとも言われていた。

インドに「学校」らしきものが生まれたのは、皮肉なことにイギリス植民地時代だったようだ。キリスト教団がインド各地にミッションスクールを建て始め、英語を教え、西欧式の教育を施し始めた。そこで学ぶ子供たちも相変わらずバラモンの家庭出身が多かったらしい。バラモンといえども社会的地位はあったものの、経済的には皆が恵まれていたわけではなく、地方の貧しいバラモン家庭にとって、子供をミッションスクールに通わせて教育を受けさせ、英語を学ぶことは、イギリスが統治する機関に登用されるなど、恵まれた待遇を約束された職を得る近道だったらしい。

このようにインドは、こと「公教育」という面においては、遅れた国だった。独立以前から政府による公立学校も少しずつ建設され、大学のような高等教育機関も全国に開設されてきたが、国民全員が教育を受けられる環境には程遠く、法律上も保証されていなかっった。学校に通って教育を受けるのは、比較的上位の社会階層に属する子供たちを中心に、勉強したい子ども、子供に勉強させたい親がそれぞれの意思で学校に通う、通わせる、「任意」による教育が主流だった。そのため一部の特殊な政府系の学校を除いて、一定の学費が求められる私立学校(プライベートスクール)は増えて、中にはデリー大学やインド工科大学などの優秀な大学教育機関へ学生を輩出する有名校も続々と現れた。

インドの教育行政にとって大きな転換点となったのは、2002年のL. K. アドバニ政権下で行われた第86次憲法改正だ。この憲法改正において21条の後に新たに条文が加えられた(21条A)。

The State shall provide free and compulsory education to all children of the age of six to fourteen years in such manner as the State may, by law, determine.
(国は6歳から14歳までの児童に対し、国が自ら定めた法律に則って無償で義務的に教育を施す)

そして2004年に教育目的税(education cess)が導入された。これはインドにおける初等教育の財源確保を目的に、所得税額に対して2%、法人税額に対し3%、関税額に対し2%,サービス税に対し3%など、国内の多くの税金に加算される形で賦課された税金だ。

そして2002年度の憲法改正から遅れること7年、ようやくインドにおける義務教育の具体的な方針を定めた基本法とも言えるThe right to children free and compulsory education act, 2009が公布され(2009)、2010年4月に施行された。

→Right to children free and compulsory education act, 2009

法律の施行にあたり、マンモハン・シン首相は、直々にテレビ撮影に出演し、インドにおけるこの法律の歴史的意義を国民に訴えた。一つの法律の施行のために首相が自らこうした撮影に臨み、テレビで国民に訴えかけたのはインドの政治史上初めてと言われている。実直な人柄で知られるシン首相はお世辞にも演説上手だと言えず、この放送でも口ごもっていて歯切れが悪く、メッセージ力に欠けるきらいがある。しかしインドの多様で複雑な社会背景を考える時、この、日本人には当たり前とも思えるシンプルなメッセージ内容が、とても力強く感じられるから不思議だ。

 

マンモハン・シン首相のテレビ演説(2010.04.01)

演説内容全文(上の動画では、一部割愛されています)

 

「およそ100年前、インドの偉大な息子、ゴパル・クリシュナ・ゴカーレは統治立法議会に対し、インド人民が教育を受ける権利を訴えました。それから90年たち、インド共和国憲法は修正を経て、晴れて教育を受ける権利をインド国民の基本的な権利であると正式に認めました。そして今日、政府はわれわれの全ての子供たちに、基礎教育を受ける権利を与えるというその誓いを果たすことができました。2009年8月に制定された義務教育法( The Right of Children to Free and Compulsory Education Act)は本日、施行されました。

教育を受ける基本的な権利は、憲法21条A項に編入されていますが、今日正式に始動しました。これは子供たちの教育とインドの未来に、国として積極的に関与していくことを示したものです。インドは若い国であり、若い人たちの国です。子供たちの健康と教育、創造的な力がよりよい国のあり方を決め、強さにつながります。教育こそが、インドの発展の鍵です。それは1人1人に力を与え、国を支える力になります。子供たちに正しい教育を施せば、インドの将来は安定的で繁栄に満ちたものであると確信しています。

政府は、性別や階層に関わらず全ての子供たちに教育を受けられるように施策を実施します。それによって技術や知識、価値観、そして責任感にあふれ、行動的なインド国民として振舞うのに必要な態度を養います。義務教育法を実のあるものにするため、国や州はもとより、県や村にいたるまで、同じ目標のために一丸となって努力しないといけません。私は全ての州政府に、この国家的課題に立ち向かうよう呼び掛けたいと思います。われわれ中央政府は、州政府と協力し、義務教育法の実践の足かせにならないように、しっかりと財政支出を行うことを約束します。

子供たちの勉強が実を結ぶかどうかは、教師の能力と意思によります。義務教育法の遂行に例外はありません。わたしは国中の全ての教師たちに、この大きな挑戦への協力を呼びかけたいと思います。教師たちがその任務に打ち込める環境を整備し、尊厳を持って子供たちを指導し、その能力と創造性を発揮できるように努めるのは私たちの義務です。この法律の下で、学校の運営者に責任が割り当てられるとともに、保護者の方々もまた、重要な役割を担います。この法律を施行する上で、社会で不遇な立場に置かれている人たち、特に女子やダリット、アディヴァシ、そして少数部族の人々などの要求に耳を傾けたいと思います。

私は慎ましやかな家庭に生まれ育ちました。子供のころ、学校まで遠い距離を歩き、ケロシンランプの薄暗い明りの下で読書をしました。まさしく教育のおかげで、今日の私があるのです。私は、インドの全ての子供たち、少年少女たちが教育の光を浴びて変わっていくことを希望します。そして全ての国民がよりよい未来を夢見ることができ、その未来を引き寄せることを切に願います。

さあ、今こそ子供たちに、若者たちに、インドの未来にこの取り組みを約束しようではありませんか。」