2012/3/10 ●Kasiaの飛行場、今度こそ


朝からKasiaに行く。実は昨年クシナガラに来た時に2度も飛行機の発着場(滑走路)を見に行ったのだが見つけられずに帰ってきた経緯がある。なんとしてでも見ておかないと!という理由もないのだが、そういういきさつもあってなんとなく意地になって行きたくなったのだ。Google Mapを見ると、Kasiaの北方に確かに滑走路だけが何もない野原のようなところに横たわっている。

以前はクシナガラのゲートからKasiaに向けて乗り合いのオートリクシャーがあったのだが今では廃止されたらしい。仕方ないので道路わきに立って、走ってくるオートリクシャーに向けて手を上げる。しかし皆あふれんばかりに人が乗っているので素通りされてしまう。何度もやり過ごして15分ほど経ったころにようやくつかまえることができた。

Kasiaの町から、今度は間違えないように道を選ぶ。歩いていくのは遠いので停まっていたバスの車掌と交渉するが、滑走路は近すぎるからと言って乗せてくれなかった。困った。バスでお金を払うほどの距離ではないかもしれないが、地図で見る限り歩くには遠そうだ。仕方なく数百メートル歩いたところで後ろから来た乗り合いのオートリクシャを停め、ダメ元で交渉してみたら「いいよ、5Rsだ。」と言われ、ホッとして乗り込んだ。

やっぱり歩くのは少し面倒かな、という距離をリクシャで運んでもらい、滑走路らしきところで降ろしてもらってお金を払おうとすると、なんと小銭の持ち合わせがなかった。ルピー札も500Rsしかない。「ごめん。小銭ないんだ。」と運転手に言って500Rsを見せると。特に表情も変えずに「じゃあ、いいよ」と言って他の客を乗せたまま行ってしまった。こういうことはインドを旅行していて頻繁にあることだ。得することもあれば損することもある。

ここは何もない。一直線の滑走路が横たわっていて、その直線の両端には飛行機が旋回できるように丸く舗装されている。この滑走路を囲むようにレンガの壁が続いていて、壁の向こうは草原だ。滑走路の中ほどの壁が壊されて道が横切っている。その道はKasiaから近郊の町へと続く道だ。バイクや自転車、車、リクシャーなどが何事もなく通っている。以前タイの王妃がクシナガラに来た時にこの滑走路を利用したという話を聞いたが、現状ではそうした要人が臨時的に利用することがあるくらいで、日常的に飛行機の離発着があるわけではない。

 

滑走路を歩いてみる。遠くに円形の空間があるのが見えるが、あそこまで歩いていくのは遠いな、と思うほどはるか先だ。のどかな雰囲気で鳥の声しか聞こえない。草原の向こうで子供が遊んでいる姿が見える。どこからかレンガの壁の隙間からオートバイが飛び出し、滑走路をゆっくりと走っている。

意地になって歩き、滑走路の先まで辿り着いた。その辺りだけ石畳のようになっていた。しかし何があるわけでもなく、しばらくそこに座り込んで休んだ。鳥のさえずりを聞きながら、またうんざりするような距離を歩いて戻る。レンガの向こう、少し離れたところに集落らしきものがあり、少年たちがクリケットをしていてこっちへ来いよと手を振っているが、あまりにも遠いので聞こえないふりをして歩く。すると少年たちのうち二人がオートバイに乗ってやってきた。

大学生の彼ら二人の話では、2年したら空港の建設が始まるということと、来年からクシナガラの荼毘塚近くで大きな仏像(銅像)の建立工事が始まるということだった。

 

仏像の方はマイトリヤ・プロジェクトの話なのだと思うが、あれはひとまず先にクシナガラでのプロジェクトを先延ばしし、ブッダ・ガヤーでのプロジェクトを進めると聞いた。このテの開発に関わる噂話には眉唾ものも多いし、話半分で聞いておかないといけないのだが、大規模プロジェクトが動き出すと、付近の農村で建設労働者としての雇用が高まる。収穫まで現金収入がない農業と違って、短い期間で現金収入が見込めるのは大きな魅力だろう。またこのような大規模開発には土地の収用に関わるトラブルもとても多いのだが、農村での雇用確保を考えるとやはり期待してしまう。

大学生のうち1人は工学系で将来はエンジニアになってアメリカや日本にも行きたいと言っていた。彼の父親はジャイプールで靴の修理職人をしていて稼ぎがとても少ないと言う。話からしてムスリムなのかもしれないが、こうして学校に通い、よりよい仕事に就こうとできる世の中になったことは良いことだと思う。ぜひ日本に来たらうちにも来てよ、と励ました。

Kasiaの町までは、今度は徒歩しかなかった。小銭の持ち合わせがないから仕方ない。しかも先ほどもどちらかというと近距離であるにもかかわらず好意で乗せてもらったのだ。長い滑走路の半分ほどを往復した上に町まで歩いて帰るとさすがに疲れた。