2012/3/14 ●Tangraという町


昨年、牛の屠殺場を見に行ったコルカタ市内のTangraという町についてネットで調べてみた。wikipediaのTangraの項では、華人、特に客家がかつて多く居住し、牛の皮のなめし業などに従事していたのだと言う。そういえば昨年、タクシーに乗って行ったときにChina townという表示板が立っていたが、華僑らしき人は見かけなかった。しかし屠殺場とこうした皮革業に従事する人々の居住区がそばにあるのは全く自然だ。そういうこともあり、あの辺りはChina townと呼ばれていたらしいが、その後どういうわけか最高裁判所の指導により郊外のBantalaという地区への移住を余儀なくされ、今ではTangraの華僑コミュニティはほぼ雲散霧消してしまったとある。

コルカタのニューマーケット付近で、やたらと皮靴や皮のサンダルを売る店や露店が目立つのも、こうした背景があってのことのようだ。中国人が始めた皮革業は、たくさんのインド人の雇用を生み、職人を育てていった。中国人の存在感が薄くなっても産業だけはインド人の間に受け継がれたのかもしれない。あるいはBantalaという郊外の地区で一大皮革産業が隆盛しているのだろうか。

 

wikipediaによるとコルカタの中国人は、もう一つ重要なものを生みだしたらしい。それはHakka foodと呼ばれる中華風のスナックだ。スプリングロール(春巻き)やチョウメン(焼きそば)、焼き飯などはコルカタの客家人(Hakka)の間で作られ、インド中に広まったという。今ではコルカタのあちこちの街角で、これらHakka foodの屋台が出ている。作って売っているのもインド人、屋台の前でそれらをほおばっているのもインド人だ。

そういうこともあり、今日はTangraに行ってみることにした。いまいち場所も良く分かっていないので、とりあえずタクシーで屠殺場に向かった。牛の屠殺場の前でタクシーを降りて歩きだす。実はこの辺りの宗教事情にも興味あった。当たり前だが、この辺はヒンドゥ教徒のエリアではない。マドラサと呼ばれるイスラム神学校に通う子供たちが父親に連れられて歩いている。装飾っけのないモスクらしき建物に子供たちが吸い込まれていく。小さな帽子を頭にちょこんと乗せた男の子たちがかわいい。

この辺りは、ビニールやペットボトル、ゴムなどの再生を行っている小さな町工場が立ち並んでいた。どこの建物の前にも、路上生活を送っている子供たちやスラムの子供たちが通りを歩きまわって集めたであろう、そうした回収されたものが積まれている。計量機で重さを測っている者もいる。重さに応じてお金がもらえるのだろう。プラスチック類は溶かしてペレットにしている。

Tangraでは廃プラスチックの再生が盛んだった
Tangraでは廃プラスチックの再生が盛んだった

またしばらく歩き、鉄道のガードのようなものをくぐって、以前見つけた豚の屠殺場の前まで来たので中を覗いてみたが、今日は人1人いない。休業日なのだろうか。仕方ないので豚肉が食べられる食堂のようなものがないだろうか、とうろうろしていると、通り沿いにある小屋で、大きな鍋に湯を沸かしてとても大きなソーセージらしきものを湯がいているのを見つけた。しかしどうも食堂のような感じではない。それ以上にゆでている肉が何ともいえずグロテスクで仕方ない。しばらく眺めていたが、正直言ってとてもこれを口にする気にはなれない、というような代物だったので、またふらふらと歩きだした。この辺りは先ほどの牛の屠殺場近辺と違って、道のわきにヒンドゥーの神様の像が祀られている。プジャーを捧げる人の姿も見える。

また道の脇の小屋で今度は豚肉を売っている店を見つけた。大きな包丁で大きな豚肉の塊を切り分けている。その横ではソーセージを作っていたので、しばらく見せてもらった。肉を専用の機械でミンチにして、ラードのような油、たまねぎの微塵切り、塩、胡椒、ハーブのようなものを加えて再度ミンチの機械に通す。さらにしばらく手でこねてから、器用に腸に詰めていき、6~7cmの長さでねじってソーセージにしていく。手際が鮮やかだ。

ここではそれを売っているらしい。どこかでこのソーセージを食べられる食堂のようなものはないか?と尋ねたが、「いや、それはないよ」と言われた。豚肉のカレーとかそういうものを出す店や屋台を探していたのだが、地元で豚肉を扱っている人にこんなにきっぱりと否定されると、どうも食堂などでローカルな豚肉料理を食べることは無理なようだ。ソーセージは1kgあたり180Rsだという。生で買っても料理する場所もない。諦めきれずにしつこく眺めていたら、「買わないんならあっち行け」と言われたので仕方なくその屋台を後にした。


なんだかコルカタに来ると、屠殺場や肉を売る店だとか、食べ物のことばかり考えている気がするなあ、と苦笑いをする。歩いているうちにChina townと書かれた標識を見つけたので、その辺りでChina townの面影が残る街かどを求めてさんざん歩きまわった。中国風建築の門や建物、漢字表記なども見かけたが、期待していたChina townにはほど遠かった。

 

途中、大きな門を堅く閉ざした施設に出くわした。よく見るとマザーテレサの施設(ミッショナリー・オブ・チャリティ)だった。高い塀に囲まれていて中の様子は分からないのだが、こんなところに、という唐突な印象のある施設だった。

 

インドでは意外とクリスチャンの存在が目立たないように思う。目立たないように生活しているのかどうか分からないが、ある家に入ったらキリストのポスターが1枚貼ってあるだけ、という経験が何度かあり、いかにも大々的にそれと分かるような感じではない。牛肉や豚肉を扱うこのエリアで、キリスト教徒がどの程度いるかはよく分からなかった。

 

いつの間にか最初に到着した牛の屠殺場まで戻ってきた。その辺に立っているインド人に尋ねると、今日は屠殺作業はないのだという。まあ、それほど見たいと思っていたわけでもない。歩きまわって疲れたので屠殺場の門の前で冷えたラッシーを飲むと、急に食欲がわいて来て、牛肉入りのビリヤーニを食べた。考えてみると今回コルカタに戻って来て、初めてインド料理らしいものを口にしたのだった。