2/12 ●ラクノウまでの長い1日

とうとうウッタルカーシーを出て行く日だ。前日の昼間にゴロゴロしていたせいで夜はなかなか寝付けなかった。ここは自分にとって特別な場所だ。自分もツーリストでありながら矛盾しているが、なるべく他のツーリストには来てほしくないと願う。だからこの町の魅力をなるべく人には言わないようにしている。ガンゴートリーまでの中継地点として通り過ぎてくれればいい。この町からバスで一日降りたリシケシがすっかりツーリストタウンと化していたので心配だったが杞憂だったようだ。今度はヨガのテキストでも持ってきて1ヶ月程度の滞在で訪れたい。今回は取り合えず現状確認ということでわずか8日間の滞在だったが、めくるめく日々だった。感じ尽くせないから飽きるということがないし、何か引っかかるものを感じながらも、また次に必ず訪れると思えば決して後に残すものもない。

ウッタルカーシーで見つけた花
ウッタルカーシーで見つけた花

8日前にバスで来た道を戻りながら改めて分かったが、やはりこの地域の開発の力の入れ具合はただものではない。印中国境を意識してものだろう。道路開発やインドでは珍しいトンネル工事も進行中だ。BORDER POLICEと書かれたトラックやジープが頻繁に行き来しているし、やはりガンガー河畔に真新しくて大掛かりなBORDER POLICEの駐屯地まで出来ていた。

道路補修は相変わらず随所で見られ、日雇い労働者たちのビニールシートを張り合わせたような仮設テントが近辺に並んでいる。こういった作業をする人たちはどこからか連れてこられるのだろう。チベット系のような顔立ちの人もいる。女の人もサリーの裾をひらめかせながら働いている。賃金がもらえ、しかも何ヶ月かまとまった仕事になるのだから彼らにとっても悪くない話なのだろう。しかし工事が終了すれば仕事がなくなり、とはいっても帰るところなどあるのだろうか。また工事作業員として雇われれて次の現場に仮設の居を構える流浪の民なのだろうか。子供たちがテント近くで遊んでいるのが見える。こういった子どもたちは当然、地域の学校にも行けず、こうして親の仕事について回ってそのうち働き手として加わるのだろう。

バスはリシケシュに6時間半で到着、さすが行きと違って山を下ってくるので早い。デリー行きのバスに飛び乗ってハリドワールで降り、ラクサール往きのバスを捕まえる。

 

バスで隣に乗り合わせた男の子が教科書を開いて勉強していたので覗いてみると、科学の教科書らしい。パスカルの原理の定義が英語で説明されている。「何年生?」と尋ねると「クラス9です」と答える。教科書の表紙には確かにclass 9と書かれていた。なるべく平易な英語で「それじゃあ14歳?」と尋ねると「今13歳でもうすぐ14歳になります」という。インドの13歳の子供は、日本で言うと小学4年生くらいの体格だ。こんな子が学校でパスカルの原理を英語で勉強している。こういうところにインドの底知れなさを感じてしまう。しばらくすると勉強に飽きて携帯電話を取り出し、ゲームに夢中になっていた。

 

ラクサールに到着して取り合えず駅へ向かう。観光地でもなんでもない場所で、何を尋ねても答えの中に英語のワンフレーズすら入らないので、ちっとも分からない。ゴラクプルまでの2等の切符を買って明日朝の列車に乗ろう。さて、今夜はどこに止まろうかと駅前でホテルを探してみると全くない!あれこれと人に尋ねてもあっち、こっちと教えられるがちっとも分からないし、そもそもない。商店街が延々とあるだけで、7時半を過ぎるとシャッターを閉め始める店が多くなってきた。夜8時を回って諦める。明日の朝7時半に急行が発着する予定だが、たとえホテルが見つかったとしても、あまり駅から遠いところなら意味がない。駅で夜を過ごすくらいだったらなんでもいいから今すぐにでも列車に飛び乗ろう。幸い9時にラクノウ行きの列車が来る。それでラクノウまで行けば、あとはどうにかなるだろう。それにしても久しぶりのインドの鉄道の旅が、寝台のない夜行かと思うとウンザリする。しかも今日一日バス3台を乗り継いでここまで来ていい加減疲れてるのに、最後がこれか。

ほとんど勢いだけで、いつラクノウに着くかも分からない列車に乗ってみる。当然2等は席が埋まっているので乗降口のそばに荷物を下ろして、座り込む。列車はmail便だったかで、のんびり走っている。途中のシグナル待ちでも何本かやり過ごしてから出発する。2時間ほどで降りる客の後に席が空いたので座れることに。思ったより乗り込んでくる客が少ないのは意外だった。鈍行のような列車なのでみんないくつかの駅で降りていく。自分のようにずっと乗っている客は少ない。だから深夜になるころにはシートで足を伸ばしている客も目立つようになっていた。自分はといえば、一人がけの椅子に座りながら、少し寝ては目が覚め、の繰り返しだ。寒いので窓を閉めてロックするが、列車の振動でロックが外れて窓が開く。それを手で押さえながら、それでも開く窓を何度も閉めながら少し寝る。

4:00を過ぎ、5:00を過ぎ、暗い窓の向こうで木々が徐々に黒い影の形となって走りすぎていくのが見えるようになって来た。やがて白い朝もやが浮かび始め、少し明るくなると麦畑の緑や枯れ畑の茶、焼畑のこげ茶、菜の花の黄色がうっすらと色づきはじめる。インドの一番美しい時間のはじまりだ。遠くで白いもやが海のように広がり、並んだ立ち木がスーッと浮いているように見える。帽子のような形をして積み上げられた藁も、百姓の住む小屋も、こんもりと枝をいっぱいに広げた木々も、まるでそこに配置されたかのような風情でたたずんでいる。もやがそれらの輪郭をやわらかくぼかしている。ガラにもなくどこかで見たミレーの絵を思い出したが、きっとこれらの風景にはかなわないだろうなと思う。

 

残念ながら日本がインドに絶対かなわないものの2つは、大きな木の多さと、木々の姿の美しさだろうと思う。インドには樹齢が軽く100年を超える木が、山ほどある。畑の間にも、道を両側から挟む並木の中にも、都市の郊外のちょっとした林にも、日本なら銘木に指定されるような木がそこらへんにいくらでも生えている。そしてみな放ったらかしだ。インドでは木は切らない。木を切る生業をしていながら認めなければならないことは、木は、切らなければ最も美しい。どっしりと腰を据えるような根元、身の詰まった太い幹から力強い上腕のような枝が伸び、二の腕のようなしなやかな枝につながり、先にいくに従って無数の細やかな枝先を、等間隔に広げて伸ばしていく。枝先を一つ一つ目で追っていくと、気が遠くなりそうなほど繊細で計算された作業だ。枝が込み入ったところは自然と何本かが枯れて落ちる。こうして木は自分で姿を整える。奇跡の造形美は、日々、自分でたたずまいを整えることで生まれるのだ。

 

しっくりと心に染み込んでくるような風景がたっぷりと残像を残すように後ろに過ぎていく。向かいに座っているインド人の少年も窓を開けて静かにじっと見入っていた。

 

移動の途中で見かけた名もなき大木
移動の途中で見かけた名もなき大木

列車はやがて駅に近づき速度を緩め始めた。ホームに滑り込み、散らかったゴミが目に飛び込んでくる。わずかばかりの乗客が客席にありつこうとやいやいと何か叫びながら乗り込んでくる。チャイ屋もやかんを持ってチャイチャイと叫びながら乗り込んでくる。

 

夢の時間が終わって朝が来たのだった。