Nashikという街


Khunb Melaも開かれる大きな沐浴場、Panchvati。
Khunb Melaも開かれる大きな沐浴場、Panchvati。

 

ビハール州のJamalpurという町から、鉄道で30時間ほどかけてマハラシュトラ州のNashikという町にやってきた。

 

Nashikはパーンチャヴァッティ(Panchvati)というラーマーヤナにゆかりのある場所として有名で、4年に1度開かれるクーンブ・メーラーの開催地(インドに4か所ある)の一つとして知られる。つまり16年に1度、このNashikにもクーンブ・メーラーがやってくる。市中心部を流れるゴダパリ河畔には、ヒンドゥー教徒が沐浴をするためのガートが整備されている。周辺には多数のヒンドゥ寺院がある。

 

Jamuiのようなビハール州の田舎町から、Nashikのようなマハラシュトラ州の大都市にやってくると、街自体がきらめいて見えた。豊かで自由な雰囲気が感じられて、ほっとした。Jamuiでは食べ物に苦労していたので、美味しそうなパンが店頭に並び、ピザやファストフードのチェーン店が軒を連ねる光景に心躍った。若い女の子がスクーターを乗り回し、後ろのシートに友人やサリー姿の母親らしき人まで乗せて夕方のショッピングを楽しんでいた。

 

Nashikで見かけたパン屋さん。なかなかどぎつい色のバースデーケーキが並んでいる。
Nashikで見かけたパン屋さん。なかなかどぎつい色のバースデーケーキが並んでいる。

 

Nashikに到着したのは夕方だったので、取り合えずNashik Road駅前に宿泊したが、翌日には市中心部にあるPanchvatiに移動した。バススタンドでバスを降り、多くの巡礼客が訪れる地なので、宿探しも楽だろうと歩いてみたが、さっぱり分からなかった。というより町中なのに宿らしきものが見当たらなかった。「失敗したかなー」と思いつつ、歩き回ってみる。「こういうちょっと奥まったところにあるんだけどな」とやや静かな路地の奥を見ていると、看板にヒンディー語で「ロッジ」とある。なるほど。バスを降りてからなんとなく不思議な感じを抱いて歩いていたが、この辺りには英語表記がほとんどなかった。インドをあちこち旅した経験があり、先日のビハール州でも、看板に英語表記が少なさを感じたが、それはビハール州の開発の遅れを反映しているようだった。それに対してこのNashikの街での英語表記の少なさは何か意図的なものを感じた。食堂のメニューから、商店の店名看板、国道に掲げられた地名表記すらアルファベット表記を排している。マハラシュトラ州はインドで最も西欧化したムンバイという大都市を抱える一方で、ヒンドゥ極右のShiv Senaが州の政権を担っている。ひょっとしたらそのことが関係しているのかもしれない。後から知ったが、これは正確にはヒンディ語ではなく、マハラシュトラ州の公用語、マラーター語だった。ヒンディ語とはデーヴァナーガリー文字を共有し、言語的にもヒンディ語と多くを共有しているようだった。そのため、ここから先は片言のヒンディ語が旅をする上で役に立った。しかしここマハラシュトラ州の人々はマラーター語を誇りとする一方で、インド北部のヒンディー語への対抗心も強いのだという。自分のように両者の言葉の区別もつかない外国人には全く理解できない心情だ。

 

そうこうして宿探しから何から苦労した。デーヴァナーガリー文字がなんとか読めないわけではないが、決してスラスラ読めるわけでもない。バススタンドに行って壁に書かれた時刻表を見ても、行先から時間まですべて徹底してデーヴァナーガリー文字で、解読に飽きてバスの車掌らしき人を探して聞いた。レストランに入ってメニューを出されても、解読に時間がかかり、音が読めてもローカルフードなので、どんな料理だかそもそも分からず、一つ一つ店員に尋ねるのが面倒だった。特にここでは割とふわっとした感じの口当たりの良いパンをあちこちで見かけた。それに辛ーいカレーを挟んだり、ローティのようにちぎってカレーにつけながら食べる。朝、昼はみんなよくそれを食べていて、街角のパン屋さんでもそのパンだけを売っていたりした。ただしカレーがとっても辛かったので、一度食べてやめてしまった。パン自体もカレーにつけて食べることを前提にしているせいか、食感が良いのに味はちっともなかった。

 

そういうことで、ここでも食事は苦労した。街角にサトウキビジュースのお店が目立った。お店に入ると、中に粗末な長椅子とテーブルが並んでいて、1杯10Rsという手ごろな値段で、機械で絞ったサトウキビのジュースをグラスに入れてくれる。好みによって塩を軽く振って甘みを強調したり、クラッシュアイスなども入れてくれるが、最初に入った店で喜んで氷を入れたら、一度大きくお腹を壊してしまった。